クラス会 ブルガリア会 〜ブルガリア会の経緯〜

ブルガリア会

ブルガリア会の経緯

                2004年10月26日 矢野 弓之介

はじめに

 「ブルガリア会」の名称での会合は一昨年から今年まで3回行われているが、ここでは「ブルガリア会」の開催に至った経緯について述べる。ブルガリアの事情を含む背景などについては、内容的にはかなりのものとなるため、後日取りまとめて述べることにしたい。

ブルガリア会

 私が仕事でブルガリアに出張したのは、1967年9月3日〜1968年1月3日の4ヶ月間と1968年4月19日〜5月17日の1ヶ月間の2回である。その後、1987年12月31日〜1988年1月4日、1998年11月11日〜17日、2002年5月31日〜6月5日と3回ソフィアを訪問した。
 ソフィアやモスクワで長い間駐在員を務めていた日商岩井の安川さんとは、帰国し日商岩井で勤務している際何回か会っているが、1987年末から1988年初に娘を連れてソフィアを訪問した後の3月にソフィアの話をするために会っている。

 1990年9月には、1979年5月にZIT(コンピュータ工場)からディスクパックの国産化に伴いDPC(ディスクパック制御装置)の 研修に来たクンチェバさんの娘のローラさん(私の娘が同年で共に英語の勉強をしてペンパルとなっていた) を大阪の花博に招待し来日した際、当時富士通LSIテクノロジにいた中村さんに紹介した。その後は、安川さんの海外勤務により、ブルガリアプロジェクトの仲間とは疎遠になっていたが、2〜3回安川さんを交えて古橋さん、児子さんなどと会っている。

 1998年2月に古橋さん、児子さん、中村さん、安川さんと私の5人で会い、私はその年の11月にローラさんの結婚式でソフィアを訪問したが、翌1999年2月に私の訪問報告を兼ねて森さん、西川さん、南さんを加えて7人で会った。この時に会合の名称を「ブルガリア会(仮称)」とした。

 2001年5月の連休にソフィアを訪問した吉田さんが帰国後、吉田さんの訪問報告を聞くためにSEであった平井さん、国方さん、田中さん、CEの吉田さん、重盛さんに姫野さんと私を含めて7名が集まったが、会の名称は「ブルガリア賢(県)人会」などとしていた。

 その後、古橋さんなどの熱心な働き掛けもあり、若手グループと熟年グループの会を統合し「ブルガリア会」の名称で2002年10月、2003年10月、今年の10月と年1回定期的に会合を持つようになった。

 「ブルガリア会」には特に会則はないが、「ブルガリアプロジェクトのためにブルガリアに駐在、出張またはプロジェクトの支援を行い、 ブルガリアとブルガリア人を愛し、ブルガリアに拘りを持つ者」であれば、本人の意思により誰でも参加できると考えてよいかと思う。
現在26名の会員がおり、毎回十数名の会員が会合に参加している。

                       以 上

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(2004.10.26)