クラス会 日吉会 〜日吉会 新富士に集合〜
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日吉会 新富士に集合(2014.6.5)

日吉会の解散式

 いつから日吉会と名付けて、2年毎に再会を続けたかは定かではないが、2009年以降参加者が少なくなり、継続することが難しくなってきた。そこで、解散式を兼ねて新富士駅に集合した。
 
 私は、小田原から新幹線で新富士に行くように出かけた。小田原で時間が有ったので西口に出た。海抜12.8mが目に入った。その先に銅像が見えた。案内板を見ると北條早雲公像である。

西口のロータリー中央に北條早雲公像が目に入る

北條早雲公

 北條早雲公(伊勢新九郎長氏、のち宗瑞、早雲庵。法名・早雲寺殿天岳瑞公) は、戦国時代に相模、武蔵、上総、下総、安房、常陸、上野、下野の関八州 のほか伊勢、駿河に勢威を及ぼした北條五代の祖である。『北條記』によれば、明応4年(1495)伊豆韮山から箱根を越えて小田原 に進出した時、牛の角にたいまつを結んで大軍の夜襲に見せかけた、いわゆる「火牛の計」の戦法を用いて大森氏を打ち破ったという。その後小田原は96年間にわたり北條氏の城下町として繁栄し、東国一の都市に発展した。早雲公は、東国の戦国時代の幕を切って落とした一代の風雲児と評され、一般には乱世を生き抜いた猛々しい武将という印象を与えている。しかし、伝来 の北條家の家訓「早雲寺殿二十一ヶ条」において、早雲公は、身を慎み、礼を重んじ、質素倹約を旨とすべきことを説き、学問、歌道に親しむことを奨励している。実際は聡明な教養人であり、また公私にわたる日常生活において も、つねに細心の注意を怠らなかった老練な苦労人でもあった。   銘板の「北條早雲公略伝」より
(案内板内に掲示されている文章より略して記載)
西口出口付近からズームで撮る

 私は、西口ロータリー中央に北條早雲公の像があるとは知らなかった。

マップ

 今回の観光・散策した場所をマークしています。ご覧ください。

新富士駅

 新富士駅には10時34分に到着した。11時ごろには、三重の若原は名古屋で合流して寺島と一緒に車で到着。長野の岩谷も車で到着。福岡の横田は新幹線で到着した。林と私は一緒の新幹線だった。2台の車に分かれて、昼食に富士宮やきそばを食べるために富士宮に向かった。

新富士駅 10時34分到着

富士宮やきそば

 富士宮市で製造される特別な蒸し麺は、静岡B級グルメの定番“富士宮やきそば”の大きな特徴。しっかりとしたコシともちもち歯ごたえで、その食感は、初めて食べる人を驚かせる。富士山の湧水とキャベツ、豚肉、卵など地産地消の食事情になりたっているのもひとつ。イワシやサバなどのだし粉と共に、焼き上がりに青のりとともにふりかければ、ローカルフードの味がより倍増すること間違いなし。
 1999年、富士宮市のまちおこしとして、古くから当地で食べられてきた焼きそばを新たに命名した“富士宮やきそば”。平成12年11月29日のNHKの取材の際に、思いつき的に活動ネーミングをつけた富士宮学会という名前をネーミングにしたことが始まり。富士宮焼きそばには下記3条件がそろう必要がある。
  1. 富士宮やきそばを名乗るためにには指定された麺をしようする
  2. 油かす(富士宮では「肉かす」と呼ぶ)を使用する
  3. 仕上げに削り粉をふりかける
と、静岡ご当地グルメ特集の静岡限定富士宮やきそば サイトは、言っているので、お宮横丁で食べることにした。  
お宮横丁と富士宮やきそば

富士山本宮浅間大社

 続いて、浅間大社にお参りに行く。富士山浅間鳥居をくぐり、さらに先に進むと、右手に流鏑馬(やぶさめ)像がある。さらに進むと、桜門がある。
富士山浅間鳥居、さらに進む
右手に流鏑馬像、さらに進むと桜門

富士山本宮浅間大社起源

 「富士本宮浅間社記」によれば、第7代孝霊天皇の御代、富士山が大噴火をしたため、周辺住民は離散し、荒れ果てた状態が長期に及んだとあります。第11代垂仁天皇はこれを憂い、その3年(前27)に浅間大神を山足の地に祀り山霊を鎮められました。これが当大社の起源です。その後は姫神の水徳をもって噴火が静まり、平穏な日々が送れるようになったと伝えられています。この偉大な御神徳は、万人の知るところとなり、篤い崇敬を集める事となりました。また、富士山を鎮めるため浅間大神をお祀りしたのは当大社が最初であり、全国にある浅間神社の起源ともなっています。

明治以降の大社

 明治維新後、神社は国家管理となり、新しい階位が作られ各神社に付与されましたが、当大社は駿河国一宮であったことから、明治4年5月14日に国幣中社、さらに願いによって明治29年7月8日官幣大社に列せられました。第二次世界大戦終戦後、神道指令、宗教法人法の制定により、当大社も宗教法人となり、名称を富士山本宮浅間神社と変更しました。しかし、旧官幣大社は大社と名乗る例が多く、全国1,300余社ある浅間神社の総本宮たるにふさわしい名称とするため、昭和57年3月11日富士山本宮浅間大社と変更しました。大宮に鎮座し1200余年を経た現在、全国1,300百余に及ぶ浅間神社の総本宮、また、駿河国一之宮として、全国的な崇敬をあつめる東海の名社となっています。 (浅間大社ウェブサイト を参照しました。)
本殿の前で

 続いて湧玉池、水屋神社を散策した。

湧玉池、水が澄んでいます
水屋神社

三保の松原を散策

 富士宮から一般道利用して今夜の宴会場、清水の羽衣ホテルに向かう。少し雨が降ってきたが、三保の松原を散策した。
三保の松原
羽衣の松
伝説と新・羽衣の松
遠方に富士山が見えると最高だが…

天女の館羽衣ホテル

 雨が振り出したので、少し早いがホテルにチェックインした。ホテルの部屋は、典雅な日本庭園が目の前に広がる、折々の旬の風情が漂う数奇屋風のお部屋です。お風呂は、高々と組まれた檜のかさ天井と大きな窓が、開放感を満たしてくれる。洗い場もゆとりがあります。料理は、駿河湾の海の幸と季節の旬の素材を活かした和風会席です。
玄関とエントランス、庭が広い!
大きな窓で、洗い場もゆとりがある
高々と組まれた檜のかさ天井、右:外観

料理は和風会席・朝食も沢山!

 夕食は、駿河湾の海の幸と季節の旬の素材を活かした和風会席。朝食もおかずが沢山。
宴会で話が弾む
朝食前に全員で
ホテルの前で全員で

久能山東照宮観光

 久能山東照宮を観光するために日本平に向かう。ロープウェイは通常、行きは昇って行くが、 ここでは、降って行く。何だか変。日本平山頂は海抜308mと海抜270mの久能山東照宮を結ぶ全長1,065mのロープウェイで、5分で行く。久能山東照宮は、日光東照宮より19年前に建てられた。ここに徳川家康の神廟がある。
日本平、左手に伊豆半島が見える
ロープウェイの擦れ違い、それにしても険しい山だ 
久能山の歴史
久能山東照宮全景
久能山東照宮
久能山東照宮社殿  
山ぼうしを上から見るのは珍しい(日本平駅から)

静岡おでん

 日本平から、静岡駅まで行き、静岡のおでんを食べる。 真っ黒な汁や、独特な種や食べ方を特徴とする静岡おでん。主に牛スジをダシとした各お店それぞれのレシピで作った汁の中に、具材を串で刺してじっくり煮込みます。静岡おでんの五ケ条
  1. 黒はんぺんが入っている。
  2. 黒いスープ。
  3. 串に刺してある。
  4. 青海苔、だし粉をかける。
  5. 駄菓子屋にもある。
 
駅ビルの中にある「海ぼうず」でおでんを食べる

 静岡おでんを食べたあと、静岡駅で解散した。今回の集いは、大雨の予報のなかで開催したが、幸いにして 大雨には遭遇しなかった。予定通りの観光・散策ができた。幹事の林さん、お疲れさまでした。
 次回からは、定期的に再会するのではなく、メンバーの誰かが会いたくなったら声をかけて、集まるようにした。次回の再会を楽しみにして解散した。

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