つちもち学級 小旅行記 宮崎・大分・長崎の旅行記〜

宮崎・大分・長崎の旅行記

長崎観光・龍馬のブーツ像・亀山社中資料展示場・若宮稲荷神社

長崎観光・眼鏡橋・新地中華街・長崎空港

 いよいよ最後の観光です。龍馬のブーツ像、亀山社中資料展示場、若宮稲荷神社、眼鏡橋、路面電車で「栄町」で下車、新地中華街散策、出島で、昼食、長崎駅を散策、ホテルに戻りチェックアウト、「築町」から長崎空港線エアポートライナーで長崎空港へ

マップ

 観光した場所をポイントしています。ご覧ください。

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龍馬のブーツ像

 ブーツの中に足を入れて記念写真が取れます。
龍馬のブーツ像

亀山社中資料展示場

 龍馬や亀山社中・海援隊の志士、幕末や明治の長崎の古写真、龍馬の手紙の原文の写しなどが展示されている。入場料は、確か気持ち程度だったと思う。
亀山社中資料展示場 龍馬と海援隊旗

坂本龍馬と若宮稲荷神社

 若宮稲荷神社は「勤王稲荷」と呼ばれています。
これは、当時稲荷が南北朝の武将・楠正成(1336没)の守護神であったことにちなみ、幕末に来崎した諸藩の志士が多く参詣したためと言われています。
 幕末当時、頼山陽の「日本外史」等の影響により、楠本正成の人気が高まり、勤王の志士たちの厚い尊敬を集めていました。
 坂本龍馬(1835〜1867)も正成を崇拝していたらしく、正成の最期の地である神戸・湊川では「月と日の むかしをしのぶ みなと川 流れて清き 菊の下水」という歌を詠んでいます。また、今も残る写真には、正成所有の刀を模して作らせたと言われる脇差を、腰に差した姿でおさまっています。
 若宮稲荷神社は、龍馬の創設した亀山社中や、盟友・佐々木三四郎と会食した料亭・藤屋にも近いことから、たびたび参詣して、日本の維新回天が1日も早く成就することを祈っていたのではないでしょうか。(説明版より)
若宮稲荷神社 坂本龍馬像と説明版

眼鏡橋

 我国最古の石造アーチ橋。1634年に興福寺唐僧子禅師(とうそうもくしぜんし)によって架設された。川面に写るその姿から「めがね橋」と親しまれてきた橋である。 1960年に国の重要文化財に指定された。長崎の石橋のなかで本物の石橋はこの橋と桃渓橋と袋橋のみである。(眼鏡橋‐長崎 サイトより)
 ・形式:1連の石造アーチ
 ・橋長:22m ・橋幅:3.65m ・橋高:5.46m ・完成:寛永11年(1634年)

 路面電車で「栄町」で、下車して、新地中華街を散策する。

新地中華街散策

 横浜、神戸と並ぶ中華街・新地は、江戸時代中期に中国からの貿易品の倉庫を建てるために、海を埋め立ててできた街。 東西、南北あわせて約250mの十字路は、長崎市の姉妹都市である福建省の協力でできた石畳。現在、中華料理店や中国菓子、中国雑貨など約40店舗が軒を並べています。
中華門
 中華街の四方にそびえる色鮮やかな中華門は、新地中華街商店街振興組合の人たちが横浜・神戸と並ぶ中華街に発展するよう願いを込めて、本場中国福州市から資材を取り寄せ、職人を招いて築造したものです。東、北、南門は高さ、幅とも9メートル。西門は高さ9メートル幅4メートル、屋根瓦は中国製。昭和61年4月に完成しました。右の写真は、東門。
 
  湊公園
 毎年春節祭に合わせて行われる、ランタンフェスティバルのメインイベント会場となる湊公園は、東側に中国産の御影石で高さ50センチの石畳舞台のほか、 中国蘇州地方に残る伝統的建築様式の石造り表門(中国名牌楼)と裏門(同牌坊)さらにあずま屋(休憩所)が設けられています。
 文:中華街 ご案内 サイトより

 路面電車で「出島」で下車して、出島ワークで昼食とした。出島から「長崎駅」で下車して、長崎駅を散策して、ホテルに戻りチェックアウトして、「築町」から長崎空港線エアポートライナーで長崎空港へ、15時45発で、羽田国際航空に向かった。
長崎駅 SNS 40便 15:45発 

 20時30分頃無事、帰宅した。4泊5日で途中に結婚披露宴にも出席して旅行を続けた。いろいろと前準備をしてスケージュルを計画し、且つドライバー兼案内役をしてくれた Shige !お疲れさまでした。

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(旅行日 2011.05.26〜30)