宮崎・大分・長崎の旅行記
大分観光・原尻の滝・緒方井路と水車・臼杵石仏
夜神楽観賞の余韻を残しながら、別府の鉄輪温泉に向かう。
今回も、下調べした道路で走る。旅情苑 やまざと、を8時30分頃出発した。ここまで来た325号線を永野原公民館辺りまで走り、そこから農道を走る。高森東中交差点で212号線と交差するが、かまわず直進する。途中、41号線を走るが、また農道を走る。荻小交差点で135号線を走る。竹田署交差点で502号線を走る。途中で、原尻の滝を散策する。
原尻の滝を10時20分頃出発する。502号線を臼杵に向かって走る。臼杵石仏入口信号で右折して、臼杵石仏を散策した。
臼杵石仏を11時50分頃出発する。上臼杵で、熊崎バイパス、途中から下ノ江バイパス、次に217号線となる。関あじ関さば館に12時30分頃に到着した。13時頃出発、途中で関の大煙突を眺める。別府湾に入ると197号線となる。途中で、道の駅佐賀関で買い物をする。あとは、ひたすら197号線を走る。途中、(有)安藤組辺りの三差路で197号バイパスを走る。仲西陸橋北で610号線を走り、日岡交差点で22号線を走る。西生石で10号線に乗る。上人ケ浜で642号線に入るところを真っすぐ進んだので、公設市場前で645号線にのり、ローソン別府亀山店付近の交差点で642号線にのり、いさみ民宿辺りで218号線になり、15時頃別府地獄めぐりに到着した。所要時間18時間30分。陽光荘には16時30分頃到着した。
GPS軌跡地図で、青色の軌跡です。画面の右にある写真をクリックすると、地図上に表示されます。ご覧ください。
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普通石仏と呼ばれる物には2種類あり孤立して持ち運びできる物を単独石仏と呼び。もう1つは天然の岩壁を利用して、岩に直接彫った物を磨崖仏といいます。磨崖仏にも線刻・半肉彫・厚肉彫・丸彫りとの区別があり、臼杵石仏はいずれも丸彫りに近い非常に高度な技術の必要な物です。
なぜここで木彫りのように精巧な石の彫刻が出来たか、その理由の一つには、このあたり一帯は太古の昔阿蘇山の大噴火によって堆積した火山灰から生じた阿蘇溶結凝灰岩という軟質の石に彫られているため、やわらかく彫刻に適しています。反面、大変損傷がはげしいのも特徴です。現存している60余体はいずれも日本を代表する磨崖仏であり、うち59体が国宝の指定を受けております。誰が何時ごろ造ったのか
ということははっきりした文献が残っていないため明確な年代は出ておらず今尚謎につつまれていますが、
大体平安末期から鎌倉にかけて彫られたのではないかといわれています。
伝説ではこの地方を治めており人々から「真なの長者」と呼ばれた豪族が我が子の死を悼み遠く中国より蓮城法師を呼んでここに大磨崖仏群建立を行ったとされております。
当時岩肌に彫られた磨崖仏には全て着彩が施され、その色は1000年以上も経た今も褪せることなくきれいに残っています。
臼杵石仏は、仏頭が台座に安置されている写真は見たことがあるが、山裾の谷間の露出した凝灰岩に刻まれた磨崖仏群であるとは知らなかった。
★ホキとは「岸險(がけ)という意味の地名です。(国宝臼杵石仏 Webより)
文は、大分県臼杵石仏事務所・大分県臼杵市産業観光課のパンフレットより。
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今回も、下調べした道路で走る。旅情苑 やまざと、を8時30分頃出発した。ここまで来た325号線を永野原公民館辺りまで走り、そこから農道を走る。高森東中交差点で212号線と交差するが、かまわず直進する。途中、41号線を走るが、また農道を走る。荻小交差点で135号線を走る。竹田署交差点で502号線を走る。途中で、原尻の滝を散策する。
原尻の滝を10時20分頃出発する。502号線を臼杵に向かって走る。臼杵石仏入口信号で右折して、臼杵石仏を散策した。
臼杵石仏を11時50分頃出発する。上臼杵で、熊崎バイパス、途中から下ノ江バイパス、次に217号線となる。関あじ関さば館に12時30分頃に到着した。13時頃出発、途中で関の大煙突を眺める。別府湾に入ると197号線となる。途中で、道の駅佐賀関で買い物をする。あとは、ひたすら197号線を走る。途中、(有)安藤組辺りの三差路で197号バイパスを走る。仲西陸橋北で610号線を走り、日岡交差点で22号線を走る。西生石で10号線に乗る。上人ケ浜で642号線に入るところを真っすぐ進んだので、公設市場前で645号線にのり、ローソン別府亀山店付近の交差点で642号線にのり、いさみ民宿辺りで218号線になり、15時頃別府地獄めぐりに到着した。所要時間18時間30分。陽光荘には16時30分頃到着した。
GPS軌跡地図で、青色の軌跡です。画面の右にある写真をクリックすると、地図上に表示されます。ご覧ください。
マップ
観光した場所をポイントしています。ご覧ください。より大きな地図で 大分 を表示
原尻の滝
阿蘇の噴火によって流出した火砕流が固まって生まれたと言われている。この滝の面白いところは、田畑が広がるのどかな平地の中、突如として滝があるところです。滝幅は120m、落差は20mあり、東洋のナイヤガラと呼ばれている。緩やかなU字型のカーブを描く岩壁の間を、幾筋もの分岐漠となって、水は滝壺に轟音をとどろかせながら落下している。滝から200mほど下流につり橋が(たきみ橋)かかっており、滝を正面から見ることができる。東洋のナイヤガラと呼ばれる原尻の滝 |
たきみ橋 |
金色に光る麦畑 大分は麦焼酎であることが良く分かる! |
緒方井路と水車
農水書の「農村景観百選」にも選ばれた井路は、緒方平野のいたるところを走り、田や畑を潤しています。水車 |
臼杵石仏
九州の東海岸、大分県臼杵市大字中尾・深田にある国宝臼杵石仏は、切り立った丘陵の崖面に彫りだされた磨崖仏としては日本で他に類を見ることのできない高い彫刻技術で彫られ、古園石仏群・山王石仏群・堂ヶ迫石仏群(ホキ石仏第1群)・ホキ石仏第2群の四群からなる全60余体と量の面でも日本最高峰の古代石造彫刻の里です。普通石仏と呼ばれる物には2種類あり孤立して持ち運びできる物を単独石仏と呼び。もう1つは天然の岩壁を利用して、岩に直接彫った物を磨崖仏といいます。磨崖仏にも線刻・半肉彫・厚肉彫・丸彫りとの区別があり、臼杵石仏はいずれも丸彫りに近い非常に高度な技術の必要な物です。
なぜここで木彫りのように精巧な石の彫刻が出来たか、その理由の一つには、このあたり一帯は太古の昔阿蘇山の大噴火によって堆積した火山灰から生じた阿蘇溶結凝灰岩という軟質の石に彫られているため、やわらかく彫刻に適しています。反面、大変損傷がはげしいのも特徴です。現存している60余体はいずれも日本を代表する磨崖仏であり、うち59体が国宝の指定を受けております。誰が何時ごろ造ったのか

九品の弥陀像(ホキ石仏第二群)
比較的小さな9体の阿弥陀如来像が刻まれている。中央の一尊だけが裳懸座に座し、彩色も鮮やかに残っているが、他の8体は欠損がひどく惜しまれている。平安末期頃の作といわれている。 |
阿弥陀三蔵像(ホキ石仏第二群)
見事な彫刻技術で彫られた、臼杵石仏の中でも最も優れた石仏のひとつである。 中尊阿弥陀如来像はどっしりと量感豊かで、毅然とした表情は彫技の冴えを感じさせる傑作である。平安後期頃の作。 |
地蔵十王像(ホキ石仏第一群)
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中尊に地蔵菩薩をすえ、冥府にあって亡者の罪を裁き救済する十王像を左右に5体ずつ配している。 錫杖を持たず、右足を座し左足を立てている地蔵菩薩は、古い様式で珍しく、光背の彩色唐草紋も残っている。鎌倉期の作。 |
如来三尊像(ホキ石仏第一群)
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中心の三尊は、中尊に金剛界大日如来を配し、右に釈迦如来、左に阿弥陀如来が並んでいる。 三尊とも膝前が長く広いのが特徴で、如来像の台座には、願文や経巻を収めたであろう円や四角の孔がある。平安末期頃の作。 |
如来三尊像(ホキ石仏第一群)
ホキ石仏第一群の中心的な存在である中尊の阿弥陀如来は静まった顔で、眉、目、髭を墨で描き、量感あふれる姿が特徴である。 三尊とも彫技は優れ、ホキ石仏第二群の阿弥陀三尊像同様の傑作で平安後期頃の作といわれている。 |
如来三尊像(ホキ石仏第一群)
中尊に釈迦如来を刻み、童顔で親しみやすい表情で語りかけてくる。彫法はやや劣り螺髪の刻み方など簡略化した跡がみられ、 素朴な印象をあたえる。平安末期頃の作。 |
山王山石仏
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3体の石仏で、中尊には大きな如来座像をすえ、その左右には脇尊としての如来座像を配す珍しい形式をとっている 。邪気のない童顔が心をなごませてくれる。「隠れ地蔵」とも呼ばれ、故安井曽太郎画伯が絶賛した像である。平安後期頃の作。 |
古園石仏
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中尊の大日如来像は、切れ長の目に引きしまった口元が極めて端正で気品あふれる表情を作り 、各方面から限りない絶賛を受けている。以前は、落ちた仏頭が仏体下の台座の上に安置され、長く人々に愛され続け、 世界的にも有名であったが、保存の為の修復に合わせて仏頭も昔日の見事な姿に復位された。平安後期頃の作。 |
文は、大分県臼杵石仏事務所・大分県臼杵市産業観光課のパンフレットより。
臼杵石仏みどころマップ
マップを参考にして下さい。(国宝 臼杵石仏 公式ホームページ より)
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(旅行日 2011.05.26〜30)