つちもち学級 小旅行記 碓氷めがね橋と富岡製糸場の旅行記〜

碓氷めがね橋と富岡製糸場の旅行記

富岡製糸場

 雲場池を散策後、富岡製糸場に向かう。

マップ

 観光した場所をポイントしています。ご覧ください。

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富岡製糸場

 明治維新直後、時の政府は日本の近代国家への礎として工場化された産業施設の創設を計画しました。これは、近代化された諸外国への仲間入リを目指して行われた「殖産興業」政策の一翼でした。特に、貿易による外貨獲得の道として「生糸の輸出振興」が打ちだされると、フランス人ポール・ブリュナを指導者として雇い入れ、政府は尾高惇忠(おがたあつただ)を中心として、ヨーロッパの先駆的な技術を持つ近代的な器械製糸工場の創設に動き出しました。
 そして明治5年(1872)、この富岡の地に全国初となる官営模範製糸場が創設されます。操業開始は同年10月4日のことでした。やがて、当時の最新鋭だった器械製糸技術は、全国から集った工女らの手で各地へ伝播された他、富岡製糸場を模範とする製糸工場が各地に建設されました。その後、経営は官から民(三井、原合名会社、片倉工業(株))へと変遷しますが、創業当時の特色ある建造物群は、常に日本の近代産業のシンボルとして、140年近くもの間ほぼ明治時代の姿のまま活用・保存がされてきました。片倉工業(株)よリ平成17年(2005)10月1日、富岡市に管理が移され、現在も大切に保存されています。現在富岡製糸場は、歴史的な建物が残る文化遺産として、また、日本の製糸業の近代化を牽引した産業遺産として、群馬県内の絹産業遺産群とともに世界遺産登録を目指しています。(カタログ より)

建造物について

 富岡製糸場には現在でも明治創業当初の主要な建物が、ほぼ当時の姿のまま良好に保存されています。明治政府が創設した官営模範工場のうち、操業時の姿をほぼ完全な形で残すのは富岡製糸場だけといわれています。政府に雇われたボール・ブリュナは、フランスの技術を日本の風土に合わせて工夫を加え、富岡製糸場設立に尽力しました。建物の設計はフランス人製図師オーギュスト・バスチャンが担当し、実際の建設には日本人大工があたりました。
 主要な建物は木材で骨組みを造リ、その間にレンガ壁を積む「木骨レンガ造」で建てられています。必要な資材は主に県内から調達され、当時日本で製造が難しかったもの(窓ガラス、鉄のサッシ、蝶番など)はヨーロッパを中心に輸入されました。特に大量のレンガは、ブリュナから手真似で作リ方を教わった日本人の瓦職人が、富岡の隣にある福島町(現甘楽町(かんらまち)福島)に窯を築き、瓦と共に焼き上げました。こうして完成した富岡製糸場の建物は、東西の二つの繭倉庫・繰糸場ともに長さ100mを超す大規模なものばかリ。 今でもその堅牢な佇まいを残し、当時世界最大規模を誇った富岡製糸場の様子を伝えてくれます。(カタログ より)

 ここで、富岡製糸場の全体を見ましょう。以下のようになっています。

駐車場から少し歩くと道何案内があり、細い道を前進すると、
富岡製糸場に正門にたどり着きます、正面に見えるのが東繭倉庫!
東繭倉庫の左側と右側、結構長い!
東繭倉庫のアーチを通る アーチの上に明治五年と刻まれている!
中の広場から見る、左が東繭倉庫、右が乾燥場
東繭倉庫から西繭倉庫を眺める!

 一度、東繭倉庫のアーチを通って表に出て、操糸場方向に進む。
  建物は、南北に長さ104m、高さは約14mの総二階建て、幅は12.3mで、
 木骨レンガ造が使われている。木材の幅は 30cm、 2階まで繋ぎ目なし1本柱!
 レンガとレンガの間は、当時はセメントが無かったので、漆喰で固める。!
操糸場
 操糸場は、繭から生糸をとる作業が行われた場所。創業当初は、フランス式操糸器300釜が設置され、世界最大規模の工場でした。現在建物内部には昭和40年以降に設置された自動操糸機が残されている。
 建物には従来日本にない「トラス構造」という小屋組が使われている。採光のための多くのガラス窓や、屋根の上に蒸気抜きの「越屋根」が取り付けられている。
操糸場の中、器械がズラリと並んでいる! 天井は高く、明かりも入る!
いまでも動きそう! 工女時代の回想録「富岡日記」の著者
横田英(和田英) 
ブリューナの館
ブリューナの館の広い庭で、鏑川方向に向かって眺めた山々!
煙突
 現在の煙突は、昭和14年(1939)に建設された鉄筋コンクリート製、高さ37.5m 直径2.5m。明治5年(1872)には、高さ36mの鉄製の煙突が現在の位置より東にたてられていたが、明治17年(1884)に暴風によって倒壊した。煙突は、燃焼効率を高めるとともに石炭を燃やす際に発生する煤煙対策のためにたてられた。
西繭倉庫
 明治5年(1872)建設。長さ104.4m
幅12.3m 高さ14.8m
東繭倉庫と同じく2階を繭の貯蔵庫として使用。建物は木骨レンガ造が使われるなど構造・大きさは、ほぼ東繭倉庫と同じ。
記念碑
 創業翌年の明治6年(1873)6月、明治天皇の要請により皇太后・皇后ご一行が富岡製糸場を行啓された。それから70年後(昭和18年(1943))に設立された碑がこの行啓記念碑です。
「操糸場」「煙突」「西繭倉庫」「記念碑」の各説明は、説明版(看板)より。


 今回は、碓氷めがね橋と富岡製糸場を見学したが、両方とも明治時代に造ったものであり、外国技術者の指導の基に短期間でよく造り上げたと感心した。
 明治維新を迎えたばかりの状況で、少しでも早く世界の技術に追いつこうと、官民合わせて必死だったのが伝わってくる。昔の技術に触れることができ、満足なツアーでした。
添乗員の相河さん、ドライバーの黒田さん、お世話になりました。
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(旅行日 2011.10.29)