雑学 〜中央構造線とは何か〜

中央構造線とは何か

 長野県下伊那郡大鹿村で、安康露頭を見てきたが何のことやら分からない。
南アルプス世界自然遺産登録推進協会のHRを見ると下記の説明があった。

 「青木川沿いにある中央構造線の露頭で、長野県天然記念物に指定されています。 領家変成帯(向かって左側)の花崗岩などの岩石と三波川変成帯(向かって右側)の緑色岩や緑色片岩などの岩石との間に2列の粉砕帯が観察できます。 右側が地質境界としての中央構造線と推測されますが、断層の活動による岩石の破砕と変質が激しく特定はできていません。 もう少し右側の暗色部が中央構造線であるとも考えられています。」

 このページの載っている写真と同じような写真は撮ってきたが、上記ページを読んでもよく分からない。安康露頭の全体を見渡すには、こちらのサイトで、▲中央構造線安康露頭の写真をクリックすると見られます。

安康露頭

 安康露頭を見た後、大鹿村の中央構造線博物館に行った。ここで、学芸員さんが丁寧に説明をして下さった。中央構造線のことが少し分かった気がする。先に博物館に行って説明を聞いた後、安康露頭を見学すればよかったと思う。初めて耳にした中央構造線について、簡単にまとめた。

中央構造線の誕生

 中央構造線の歴史は、日本列島の誕生以前にさかのぼります。
 1億年前の海洋プレートは、北に向かって動いていました。この動きにつられて大陸プレートの東端が北に引っ張られ、巨大な横ずれ断層が生まれました。これがのちに発展して中央構造線となったと考えられています。このように、中央構造線は大陸プレートに生じた断層であり、プレートの境界線ではありません。
 高い山から大昔の海の貝の化石がでてきたり、日本とハワイが一年に何センチメートルずつ近づいているという話を聞かれたことはありませんか。大地は昔から今と同じままではなく、 長い目で見れば少しずつ変動しています。大地は引っ張られたり、押し合ったりして地震を起こし、それによって生じたズレが「断層」です。

日本列島の誕生

中央構造線

 中央構造線は、日本列島の西半分を縦断する日本最大の断層です。
 その陸上部分はおよそ1000kmあり、九州熊本から四国を通り、遠山谷を通過して諏訪(茅野市)でもうひとつの大断層―糸魚川・静岡構造線 (※注1) ―によって大きく分断されています。
 分断された中央構造線は、カーブを描いて関東平野に伸びています。新しい地層に覆われているために、正確なルートは明らかになっていませんが、 茨城県を通って太平洋に伸びていると推定されています。
 中央構造線を境界として、内側(日本海側)を西南日本内帯、外側(太平洋側)を西南日本外帯とよんでいる。

 ※1…糸魚川・静岡構造線は、新潟県糸魚川市から静岡県静岡市にかけて、南北に日本を横断する断層です。 この断層の東側に広がる大きな谷が、 フォッサマグナ(大地溝帯)と呼ばれるものです。

中央構造線

中央構造線を境に岩石の種類がまったく異なる

 この断層は、ズレが極めて大きいため、中央構造線を境に大陸側(内帯)と太平洋側(外帯)とでは、岩石の種類が全く異なります。
 中央構造線に接する内帯側の地質帯は領家変成帯と呼ばれ、マグマが地上付近(地下10km付近)で冷え固まってできた、花崗岩などが中心の変成帯 (※注3)です。
それに対して、外帯側の三波川変成帯は、地下深く(地下30km付近)の低温・高圧の状況下で作られた変成岩が中心です。この二つの地質帯の境界であることが中央構造線の指標であり、 またその定義でもあります。

 ※3…岩石が地下の熱や圧力で変化し、別の性質の岩石となったものを変成岩と呼びます。同質の変成岩が帯状に分布したものが変成帯です。

中央構造線露頭(大鹿村北川)

 中央構造線上には重要な聖地が多く、また国譲り神話に関わる神々がこの線上に祀られているらしいです。国譲りで敗れた建御名方命は中央構造線上の諏訪大社に祀られているそうでし、伊勢では伊勢神宮外宮のほぼ真下を中央構造線が走っているそうです。修験道で有名な石鎚山も、この構造線上にあるそうです。何となく、中央構造線は神秘的ですね。

 大鹿村中央博物館ホームページは、こちらです。中央構造線をもっと詳しく見るには、このページの「中央構造線はなに?」がよろしいようです。また、「館内展示・野外観察地」もご覧ください。

 今回は、長野県最南端の秘境と秘湯の旅を日帰りで行ったので、駈け足で観光した。今度、中央構造線をゆっくりと見学しようと思う。

 このページの作成にあたり、いろんなサイトを参考にした。また、大鹿村の中央構造線博物館のパンフレットも参考にしました。

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