寄稿 〜飛田さんのエッセイ「酸っぱいリンゴ」の紹介〜

飛田さんのエッセイ

酸っぱいリンゴ

                         飛田 良
 九月になって、スーパーの店先にリンの「つがる」が並ぶようになった。日本はリンゴの銘柄が豊富で、季節を追って、つがる、むつ、王林、ふじ、などが店頭に並んで、色、形、味を競っている。私は好きなリンゴを毎日食べることができるぞと嬉しくなる。
 日頃、私は食事時に、何らかの果物を摂ることにしている。朝のリンゴジュースに始まり、昼食にはリンゴを食べ、時々バナナを加える。晩酌をしないので、夕食にはグレープフルーツなどのジュースを飲み、食後に、国産の梨、ぶどう、ミカンや、輸入の果物などを食べて一日を締めくくっている。

 今日本で、種類の豊富な果物をふんだんに食べることができる幸せを感じながら、私は毎晩小さな酸っぱいリンゴを食べて過ごしたブルガリアのことを思い出す。三十年ほど前の話だ。
 ある商談をまとめるため、ブルガリアのソフィアに出張し、交渉が長引いたので約一ヶ月間滞在したことがある。市内のホテルに滞在していたが、困ったのは食堂のメニューが肉類中心で野菜類がほとんど無いことであった。野菜といえば、朝食に付くトマトジュースと、昼食と夕食時のキュウリをみじん切りにしたサラダしか無い。

 滞在中の私の関心事は、商談をまとめることと、如何にしてビタミンCを摂取するかの二つに絞られた。ホテルの裏手の小さな店で野菜と果物を売っていると聞いて出かけた。店は約五十平方メートルほどの広さで、壁際の机の上に野菜が並べてあり、果物は片隅に山積みされた小さな青いリンゴだけだった。ところどころに土が付いたままの青いリンゴは、酸っぱかったが新鮮であった。果汁が口中に広がった時、これでビタミンCが確保できると安堵した。1ヶ月の間、毎晩食べた小さな酸っぱいリンゴのお蔭で、健康を損なうことなく、商談をまとめることができた。

 ブルガリアから帰国した翌日、街に買い物に出掛けた。リンゴを買うため八百屋に立ち寄って驚いた。店先には、いろいろな銘柄の大きなリンゴが並んでいる。私の頭には、「リンゴは小さくて青いもの」がインプリントされたまま消えずに残っていた。あわてて妻に公衆電話で、どの銘柄のリンゴを買えばよいかを尋ねた。
 当時、ブルガリアは農業国でありながら、商品価値の高い果物は輸出に回しているので、国内に美味しい果物が出回らないと聞いていた。現在も、外貨を稼ぐため良質の果物を日本に輸出している国が多い。しかし、NHKの報道によれば、輸入される大量の果物のうち、かなりの量が輸送途中に傷んで廃棄されているという。それを聞いて、私はもったいないと思うと同時に、良質の果物を輸出に回している国の人々のためにも、果物を傷めないで輸送できる方法を考える必要があると思った。
                (一九九八年の作品)

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