クラス会 同窓会 〜57年振りの再会〜

57年振りの再会

 平成22年6月23日16時30分ころ、「土持君、大森だ」と電話がかかっててきた。「大森?」どこの大森かと思っていたところに、「小学校のころ、君が住んでいた家の前に居た大森だ!」。「富久先生を囲むクラス会を7月10日に行う。我々が70歳をむかえたので、一節と思い計画した。是非参加しないか。」との案内だった。
 私は、小学校を卒業して以来、今日まで富久先生を始めクラスメイトとの音通はなかった。富久先生は、小学校の5年6年の時の担当の先生で、勉強よりも学校が終わった後や休みのときに、近くの山や川で一緒に遊んでくれた、印象深い先生だ。卒業以来、一度もお会いしていないので、是非参加すると、返事をした。

 大森君は、どうして私の電話番号が分かったのか?と尋ねると、私が卒業した学校の同窓会に電話して聞いたが、個人情報保護のため教えることはできない。と断れたが、 上記の理由で是非教えて欲しいと再三お願いして、電話番号を知ることができた。とのことだった。 そのお陰で、私は富久先生やクラスメイトに57年振りに再会することができた。お礼を言いたい。

我々の富久先生!(スキャナーで読込む)
富久先生とクラスメイト
平成28年卒業(スキャナーで読込む)

 戸畑に行く前に、押し入れから昔のアルバムを探し出した。富久先生の写真と卒業記念の写真があった。富久先生はすぐ分かるが、クラスメイトの名前は、なかなか出てこなかった。

 戸畑駅に着いたのは、16時30分頃だったので、先にホテルでチェックインして、荷物を置いて身軽にした。同窓会は、18時からなので、昔住んでいた向町四丁目や戸畑小学校を散策した。

のぞみ29号で出かける
16時30分頃戸畑駅に到着する

マップ


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向町四丁目を散策

 向町四丁目は、昔の面影が殆ど無かった。何故かしら私達が住んでいた家だけが残っていた。前の大森君の大屋敷や向町四丁目の角に、天賀君の家があったが、すべてマンションに変わっていた。家の右隣りは飲料会社だったが、ここもマンションに変わっていた。近くに我々が卒業した戸畑小学校を散策したが、すっかり新しくなり、名前も北九州市立戸畑中央小学校になっていた。また、小学校のすぐ隣に我々が卒業した戸畑中学校があったが、小学校や公園に変わって中学校は無くなっていた。なんだか淋しい思いにさせられる。

幸町から向町通りを望む
昔のままで残っている! 右隣はマンションに!
天賀君が居た家や大森君の大屋敷は、
大マンションに変わっていた!
校舎も新しい、北九州市立戸畑中央小学校

浅生第一公園を散策

 戸畑区役所前の広場だが、7月の第4土曜日は、ここの三角の路をピラミッド形の提灯山笠が競演をする、戸畑祇園祭りの会場になる。区役所の前には観覧席も設備されているのには驚いた。この近くに飛幡八幡宮があるので、戸畑祗園が無事終えることを祈願した。戸畑祇園については、こちらのWeb をご覧ください。

前方が浅生第一公園、この周りを提灯山笠が競演する
飛幡八幡宮
飛幡八幡宮
同窓会の会場に行く途中で、若戸大橋の頭の部分が見えた!

57年振りに再会する

 同窓会の会場は、浅生通り交差点の近くにある「しん門」である。次から次と友が訪れるがれ、誰であるか分からない。 私が知っていたのは3人だけだった。 富久先生は、直ぐに分かった。昔と変わらずハンサムである。

 学級在籍55名 物故4名 所在不明21名 病気療養3名のうち同窓会参加者は、先生を含めて19名(男9、女10)だった。私は、数名だと思っていたが、こんなに多くのクラスメイトが参加したことは、富久先生が参加して頂いたお陰だと思う。また、4名の幹事のお陰である。
 小学校卒業以来、今日までクラスメイトとは年賀のやり取りさえもしていなかった。これを機会にメールのやり取りを行うことにする。
 大森君、連絡を頂いて本当にありがとう。

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(2010.7.10-11)