寄稿 〜飛田さんのエッセイ「悪夢」の紹介〜

飛田さんのエッセイ

うるさ型老人の悪夢

                          飛田 良
 私は朝食前に、池の金魚と甕のメダカに餌をやり、朝刊を取り出してから、家の前の道を掃くことにしている。ある日、いつものように掃いていると、道の中央に一匹のトカゲがいた。角を曲がって一台の車が進んでくるのが見えたので、パタパタと足音を立ててトカゲに注意してやった。トカゲは小走りに端に寄り、一瞬振り向いた後、向かいの家の庭に姿を消した。

 その日の午後妻が外出し、私は二階で本を読んでいた。チャイムの音で玄関を開けると、薄ねずみ色でラメ織りのような光沢のある背広を着たスリムな青年が立っていた。青年は「ハイテクの新製品『潜在意識発声器』の訪問販売です」と言って、黒い五ミリ四方ほどの大きさの薄いチップを手に、パンフレットを開いて説明した。
 『潜在意識発声器』は、それを頭につけた人の意識を音声に変えて相手に伝えるものだ。原理は、人の潜在意識を音声化し、次いで相手の頭上数メートルのところに空気分子の濃密な幕を一時的に作り、その幕に音声化した意識を送って反射させ、音声をシャワーのように降らせて相手に届けるものである。用途は、大人数のパーティで友人を呼び出したり、混雑するテーマパークで子どもを捜すのに使う。利用法の一つに、街中で迷惑行為をする人に人知れず注意できるケースもあるが、一対一の状況で使うと話し手が分かって、相手から報復される恐れがあるので要注意と但し書があった。
 青年が「お試し期間は三日です」と置いていったので、私は帽
子の縁に『潜在意識発声器』を着けて出かけた。

 横浜駅のホームの階段を下りるとき、例によって若い女性がカターンカターンとサンダルの甲高い音を響かせていた。私の心に「大きな音を立てると補聴器をつけた人に迷惑ですよ」という思いが浮かんだ。すると、その思いが声となって女の人に降り注いだとみえて、彼女は音を立てないように静かに降りだした。
 他に、けたたましい大声を出す女子高校生や、電車内で化粧をする女性に注意を試みたが効き目はなかった。

 さて帰りに私がバスを降りようとすると、降り口に邪魔な男性がいた。彼は柱に凭れてケイタイを覗き、足元に置いた鞄を庇うように足を出し出口を半分塞いでいる。そして人が降りるとき、足を引こうとしない。私がつい「邪魔でしょ。人の迷惑を考えなさい」と思ったら、それが声になってしまった。怒った彼は、私を追ってバスを降り「なにをしようと自由だ!」と言いながら、隠し持ったナイフで私の背中を刺した。道端に倒れ伏した私の目の前に心配そうなトカゲがいたように思ったが、直ぐに気を失った。

 妻が帰宅した音で目を覚ました私は、「夢でよかった」と胸を撫で下ろした。机の上に読みかけの『青春の夢と遊び』河合隼雄著があった。
                   (二○○六・八・二八)

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