岩国・笠戸島・湯田温泉・萩・秋吉台の旅行記
笠戸島を観光
笠戸島(かさどじま)は山口県下松市沖の瀬戸内海に浮かぶ三日月形の離島。
下松市域に含まれる。本土とは笠戸大橋(ランガートラス橋・1970年(昭和45年)完成)でつながっている。と説明があるが、橋でつながっているとは知らなかった。
私は、笠戸島に5歳前まで生まれ育った所で 65年振りに訪ねたが、何処に住んでいたかなどほとんど記憶がない。ただ覚えていることは、親父が造船会社で働いていたらしくて、工場に連れられて大きな船の進水式を見たことと、夕食時に空襲警報が鳴り、茶碗を持ったまま防空壕に入ったこと、それから船で本土に渡る。これぐらいしか覚えていない。橋ができたことは、車で本土との行き来ができて、大変便利になったことだと思う。
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この橋の完成によって、それまで造船程度しか産業のなかった笠戸島では、ハーブ栽培や観光の産業も発達した。
全長:476.8m(アーチ底辺156.2m)
形式:ランガートラス橋
完成:1970年(昭和45年)11月14日 (ウィキペディア サイトより)
笠戸島は、昔は造船会社だけの島ではなかったのか。笠戸大橋のお陰で、ハイキングコースや海水浴場などを整備して、またリゾート・マンションを建設するなど、観光にも力をいれてリゾートの島になってきたようだ。
最後に、JR下松駅に別れを告げて、今夜の宿、湯田温泉に向かう。
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下松市域に含まれる。本土とは笠戸大橋(ランガートラス橋・1970年(昭和45年)完成)でつながっている。と説明があるが、橋でつながっているとは知らなかった。
私は、笠戸島に5歳前まで生まれ育った所で 65年振りに訪ねたが、何処に住んでいたかなどほとんど記憶がない。ただ覚えていることは、親父が造船会社で働いていたらしくて、工場に連れられて大きな船の進水式を見たことと、夕食時に空襲警報が鳴り、茶碗を持ったまま防空壕に入ったこと、それから船で本土に渡る。これぐらいしか覚えていない。橋ができたことは、車で本土との行き来ができて、大変便利になったことだと思う。
マップ
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笠戸大橋
笠戸大橋(かさどおおはし)は山口県下松市の笠戸湾(徳山下松港)にかかる橋。下松市州鼻と笠戸島を結ぶ。山口県道174号笠戸島公園線を通す。 中央径間の深紅に塗装された美しいトラス橋で、下松市のシンボルともなっている。この橋の完成によって、それまで造船程度しか産業のなかった笠戸島では、ハーブ栽培や観光の産業も発達した。
全長:476.8m(アーチ底辺156.2m)
形式:ランガートラス橋
完成:1970年(昭和45年)11月14日 (ウィキペディア サイトより)
笠戸大橋、本浦辺りで撮る! | |
看板が迎えてくれる! | はなくり海水浴場 |
新笠戸ドッグ、ここで進水式を見たのか? | ||
前方の大城岬と入合山の間に建つ国民宿舎大城が見える | ||
国民宿舎大城 | ||
はなぐり海水浴場と笠戸島ハイツが見える | ||
笠戸島ハイツ | ||
夕日岬 ここから眺める夕映えの美しさは、西日本でも有数の名所と言われています。 左右の「はなぐり岩」を通り抜けて海面に映える夕影はすばらしい。 特に冬至のころは、写真家にとっては応えられないそうです。 現在の「はなぐり岩」は潮流の力で自然にできた穴を、戦時中陸軍が、舟艇を隠すために堀ひろげたものです。(説明版より) |
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もうすぐ夕日に成りそうです! | ||
JR下松駅 |
笠戸島は、昔は造船会社だけの島ではなかったのか。笠戸大橋のお陰で、ハイキングコースや海水浴場などを整備して、またリゾート・マンションを建設するなど、観光にも力をいれてリゾートの島になってきたようだ。
最後に、JR下松駅に別れを告げて、今夜の宿、湯田温泉に向かう。
次の観光地は、湯田温泉です。
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(旅行日 2011.11.26-27)