岩国・笠戸島・湯田温泉・萩・秋吉台の旅行記
湯田温泉を観光
ホテルを8時15分頃チェックアウトして、湯田温泉周辺の瑠璃光寺、菜香亭、常栄寺を観光した後、萩に向かう。
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確かに、境内はか山公園と呼ばれるだけあって広い。下記の案内マップを参考にされるといいですよ。
実際にやってみると、確かに音が響く。
明治4年に敬親公が山口で没して、この地に葬られ、以降の墓地として使用されています。(説明版より)
2004年10月、山口市の観光施設・市民交流の場として生まれ変わりました。日本の歴史に深く関わった政財界人・文化人直筆の書、料亭時代の価値ある所蔵品等の公開や、館内の部屋の貸出を行っています。
130有余年の歴史を経て新しい輝きを手に入れた、西の京の歴史舞台を是非ご覧下さいませ。(山口菜香亭 サイトより)
時間があれば、是非一見すべきところである。
内庭は、石だけで作庭され、その石は室町時代の庭園の特色となっている立石が多く使用されている。
この庭は水と石とに主体をおいて簡素であり豪放であり、岩の持つ堅さすなわち岩の意思ともいうべき頑丈さをよく生かしていて、直線と角との最大の巨匠であると評された雪舟の山水画をみるようである。妙喜寺は、その後妙寿寺と称し、さらに明治になって、毛利隆元の菩提寺となり常栄寺と改められた。(説明版より)
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マップ
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瑠璃光寺
瑠璃光寺(るりこうじ)は、山口県山口市香山町にある曹洞宗の寺院。山号は保寧山、本尊は薬師如来。国宝の五重塔を中心として、境内は香山公園と呼ばれ、桜や梅の名所にもなっている。大内氏全盛期の大内文化を伝える寺院であり、「西の京・山口」を代表する観光名所となっている。香山墓所は「毛利家墓所」のうちの一つとして国の史跡に指定されている。(ウィキペディア サイトより)確かに、境内はか山公園と呼ばれるだけあって広い。下記の案内マップを参考にされるといいですよ。
瑠璃光寺境内(山口・瑠璃光寺 サイトから) | |
瑠璃光寺本堂 |
五重塔
日本三名塔のひとつに数えられる国宝瑠璃光寺五重塔。五重塔は、今から約560年ほど前に、この地の領主大内義弘が戦で命を落としたので、その霊を弔うために、義弘の弟にあたる大内盛見が建てたものだそうです。なので、お墓のようなものでしょうか。中には、義弘の位牌とブロンズ像が納められているそうです。(西の京やまぐちの旅 サイトより)国宝瑠璃光寺五重塔 |
うぐいす張りの石畳
このあたりで、手を叩くか強く足踏みすると、美しい音が返ってきます。「うぐいす張りの石畳」と呼ばれ親しまれています。 人為的に造られたものではありませんが、前方の石垣や石段等に反響して美しい音色を出すものと思われます。(説明版より)実際にやってみると、確かに音が響く。
うぐいす張りの石畳 |
香山墓地(萩藩主毛利家墓所)
この墓地は、萩藩主(毛利本家)の墓所で13代敬親公が文久年間に居城を萩から山口に移して以降の墓地として使用するために造成されたものです。明治4年に敬親公が山口で没して、この地に葬られ、以降の墓地として使用されています。(説明版より)
香山墓地(萩藩主毛利家墓所)、土饅頭の全面に墓石を立てる形式 |
菜香亭
明治10年頃、料亭として創業。山口の迎賓館として、井上馨、伊藤博文、佐藤栄作ら時代を担った人々が集った場所…それが菜香亭です。2004年10月、山口市の観光施設・市民交流の場として生まれ変わりました。日本の歴史に深く関わった政財界人・文化人直筆の書、料亭時代の価値ある所蔵品等の公開や、館内の部屋の貸出を行っています。
130有余年の歴史を経て新しい輝きを手に入れた、西の京の歴史舞台を是非ご覧下さいませ。(山口菜香亭 サイトより)
時間があれば、是非一見すべきところである。
大きな石に「亭香菜」と刻まれている! | |
広い庭 | |
広い畳部屋 | |
竹下 登 の自筆 | 田中 角栄 の自筆 |
常栄寺庭園
この庭は、室町時代の中頃当時妙喜寺といっていた寺の庭として、大内政弘が画聖雪舟に命じて築造させたものと伝えられている。家庭には30アールの広さで、背景の山林も指定地となっている。北側に枯滝があり、中央に心字池があり、その周囲には庭石を豊かに配している。内庭は、石だけで作庭され、その石は室町時代の庭園の特色となっている立石が多く使用されている。
この庭は水と石とに主体をおいて簡素であり豪放であり、岩の持つ堅さすなわち岩の意思ともいうべき頑丈さをよく生かしていて、直線と角との最大の巨匠であると評された雪舟の山水画をみるようである。妙喜寺は、その後妙寿寺と称し、さらに明治になって、毛利隆元の菩提寺となり常栄寺と改められた。(説明版より)
縁台側から撮る | |
森の方から撮る | |
京都・龍安寺の石庭に似ている | |
雪舟(1420〜1506) 1420(応永27)年備中赤浜(現在の岡山県総社市)に生まれ、幼くして井山宝福寺へ入り僧になったといわれています。京都の相国寺で水墨画を画僧周文から学んだのち、当時の有力な守護大名であった 大内氏の招きで山口の雲谷庵に居を移した。その後、中国(明)で、2年間を過ごし、水墨画の真髄を探求しました。帰国後は豊後(大分県)に一時画楼をかまえましたが、再び山口に戻り、雲谷庵を拠点として石見(島根県)などへ活躍の場を広げて多数の作品を創作しました。また、画ばかりでなく、庭園も手掛けたといわれ、ここ常栄寺の庭園も雪舟作とされています。(説明版より) |
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(旅行日 2011.11.26-27)