つちもち学級 小旅行記 〜バスツアーで浅草・浅草寺に初詣でに行く〜

バスツアーで浅草・浅草寺に初詣に行く

 株式会社 日本ファミリー旅行のバスツアーで、浅草・浅草寺に初詣に行った。正式なタイトルは、「初詣 浅草・浅草寺、東京運河探検クルーズ! 日本橋川〜神田川へ 復元された東京駅周辺を案内人付で散策、江戸前寿司の昼食を」である。1月5日に出かけたが、ツアー参加者は49名だった。
 スケジュールは、最初に東京駅周辺散策して、築地の築地玉寿司屋で昼食して、築地市場を散策する。日本橋の船発着場から水上バス「カワセミ」で川めぐり、最後に浅草・浅草寺で初詣をする。

マップ

  散策した場所をポイントしました。参考にしてください。

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東京駅周辺を散策する

 1月5日の土曜日に、朝早く出発したのが良かったのか、渋滞なしでバスは、9時ごろ東京駅に到着した。ちょうどタイミングよく案内人も来ていた。東京駅およびその周辺を案内人付き出散策するのもいいもだ。この日は風が冷たく寒かったが、車も人も少なかったので、ゆっくりと散策することができた。

東京駅散策

 東京駅は1914年(大正3年)に、辰野金吾氏により設計された。今回、東京駅丸の内駅舎保存・復元工事が行われた。概観は創設時の姿に忠実に復興し、未来へ継承するために、鉄骨煉瓦造りの下に地下躯体を新設し、巨大地震にも耐えうる建築とするため、「免震工法」で施工しているそうです。地下の工事をしている際、「松抗」が出てきたそうです。案内人によると約1万本も出たそうです。
東京駅中央口がセンターになる位置より撮影した
南口の概観 南口のドーム
南口ドームの2階に
東京駅の
模型を展示してある
ホテルの入口
東京駅の中央ベランダが
あるロイヤルスイートは、808,500円
駅長室入口、この先に
0キロポストがあるそうだ
 北口の概観  北口のドーム
Windows Live フォト ギャラリーでパノラマ写真に
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周辺を散策

 東京駅や丸の内周辺は、昔は海だったのを埋め立たらしい。1890年(明治23年)政府の要請に応じ、三菱の二代目社長岩崎彌之助は、丸の内一帯の陸軍省用地及び三崎町土地の払い下げを受けました。丸の内一帯は兵舎も撤去され兵営の跡地で一面原っぱと化していましたが、ここに欧米諸国に並ぶ一大ビジネスセンターの建設構想が三菱の手により進められていきました。
 そして、1894年(明治27年)6月、丸の内の最初の赤レンガ事務所である「三菱一号館」が竣工しました。1923年(大正12年)2月20日、丸ビルは、三菱合資会社地所部と米国のフラー社により設立された、フラー建築株式会社の施工により竣工しました。それから1995年(平成7年)に丸ビルの建て替えを発表。2002年(平成14年)に、新時代を象徴する交流拠点として”丸ビル”が誕生したことを皮切りに、次から次へた新しいビル完成して、新たな丸の内が再構築された(丸の内ガイド・マップ サイトより)。
 旧丸ビルは、日本で初めて建てられた高層ビル。地盤が軟弱だったので松の丸太(米国北オレゴン産)杭を5500本使用した上に基礎を造り8階建てが建てられました。 関東大震災にも耐え、80年後に解体され、杭も引き抜かれました。松抗の1本が丸ビルの1階の足下のガラスケースに展示されています。腐食やシロアリ被害は無く、まだヤニも含んだみずみずしい状態のままのようです。
 東京駅は、この松抗が1万本使われていたそうです。
松抗:長さ80m  左はレプリカ、右は本物
左:丸ビル、右:新丸ビル 両ビルの間が行幸通り
東京中央便局
 再発計画で旧庁舎保存の要望でもめた建物。再開発をめぐっては、2009年に当時の鳩山邦夫総務相が旧局舎は文化財としての価値があるとして解体工事をストップ。その後、低層部の外壁などの保存部分を増やすことで決着した経緯がある。
日本工業倶楽部会館
 国賓を迎えることを考慮して、入り口にはドリック・オーダーが配され、正面階段も広くとられた。正面屋上には小倉右一郎作の二つの人像が置かれ、男性はハンマー、女性は糸巻きを手にし、当時の二大工業石炭と紡績を示していた。
和田倉噴水公園
前方はパレスホテル東京
一番左がトイレ
次が無料休息所
巽櫓(たつみやぐら)
 江戸城で現存する3つ櫓の1つである(巽櫓と富士見櫓・伏見櫓)
元枢密院庁舎(もとすうみついんちょうしゃ)
 大正10年(1921年)に完成,現在の国会議事堂のモデルになった建物、御前会議が行われた場所と言われています。
大手門

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 次は、築地市場散策、東京運河探検クルーズ、浅草寺で初詣をする。
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(旅行日 2013.01.05)